インターネット、大好きです
やあ、やっぱすごいことですよ。会ったこともない人の話が聞ける、話が聞けるっていうのは。
江戸時代の武士どもには絶対に体験できなかったことなんですよ。
あいつらは、参勤交代(笑)、切腹(笑)、ちょんまげ(笑)、武士の情け(笑)、甘味処(笑)、ペリー(笑)
とかしかできなかったけど、ネットはそんな彼らが味わえないことをできてしまう。
オレがスウェーデンに住んでるナタリーに「I Love You」って言うこともできる。
やべー。マジやべー。ネットすごすぎ。
ほんとそう思う。どこのだれだかわかんない人同士が、どこのだれだかわかんないままで「わかりあえない」なりに知り合うことが出来る。
もう、この一点だけでネットすごすぎ。
そうじゃなくて、あと1行増やすだけでもいいから、
「こんな風に考えた方がいいよ」とか「その考え方だと、こういう結果が待っているよ」とか、
あなたにしか言えない、オリジナルな絶妙ベストエントリーをキメて欲しいんだよって思う。
よーし、パパ、今日はオリジナルなコメントつけちゃうぞー。
そもそも、なにをもってして「わかりあえる」のか。
「わかりあえる」ことはとてつもなく重要なことなのか。
別に「わかりあえる」ことはなくても、お互いの「わかりあえる部分」を見つけていこうとすることが、わかりあうことなのではないかと思うのです。そうやって「わかりあえる部分」がたくさんある人同士は仲良くなれる人なんだろうし、「わかりあえる部分」が少ない、もしくはほとんどない人というものが、苦手な人、嫌いな人。
でも、お互い人間なんだから、ちょっと位は「わかりあえる部分」っていうのは見つけられるんじゃないかな。みんなが「わかりあえる部分」探しを積極的に行えるようになれば、もっとネットすごすぎな世界が現れるのではないかと思う。
ネットはやれば出来る子だとおもうから。